2015年09月 アーカイブ

あきさん的九死に一生スペシャル第一弾

2015年09月20日

実は ほんの3週間前まで生死の境をさまよってました。
病名は S状結腸穿孔&穿孔性腹膜炎。

事の発端は 10日程前の発熱&腹痛から始まる。
いつもの胃腸風邪だろうと 近所の病院へ行くと やはり予想通り胃腸風邪との診断。
しかし一週間経っても一向に回復せず(この間にも二度程通院しています)

そして 忘れもしない8月26日の夕方。
便意を感じトイレに駆け込むあきさん しばらく便秘気味だったため この便意を逃すものかと思いっきりイキんでみたら 下腹部からの『ビリッ』と言う異音と共にチンチンの根元辺りにとんでもない激痛が走る 走るなんてもんじゃない激走って感じのボルト並みの走り方だ。

ここでバカなあきさん思いました『これはもしかして胃腸風邪じゃなくて噂の尿管結石じゃね?』と めっちゃ激痛って話だし でもでも もしも尿管結石だとしたら もう一度頑張ったらチンコの先から石が出てくるんじゃね?っと。

っで バカなあきさんもう一度これでもかって程イキみました。
するとどうでしょう またしても下腹部から『ビリッ』と言う異音 そしてさっきよりも激しい痛みが走るではありませんか(劇的ビフォーアフター風)

さすがにマズいと思ったあきさん 嫁さんに救急車を手配するように頼み 激痛に耐えるべくタオルを口にかませて 地べたをのたうち回る事数分 家の前に救急車到着 のたうち回る程の激痛にも関わらず 自分の足で1階に降り自分の足で救急車に乗ると言う荒技をかましつつ 市内の大きめの病院へと搬送される。

救急車の中でも痛みはおさまる事はなく 血圧等はグングン上昇 熱に関しては『計測できませんっ!』なんて声を救急隊員に吐かせる程上昇 そして数分後病院に到着 ここでようやく痛み止めの座薬を入れてもらう(後で聞いた話では かなり強力な痛み止めだったらしい)

そしてCT検査等をした後 処置室にて安静にしていると たまたまこの日に愛知医大より出向していた消化器系の先生が CT画像を見るなり『穿孔している可能性があるので 今すぐに愛知医大に搬送して緊急手術をしないとマズい』と そして待機していた救急隊員にすぐに愛知医大に搬送するように指示を出し 先生もすぐに医大に戻り準備をするとの事で あきさんまたしても救急車に載せられ愛知医大の救急センターへと運ばれたのでした。

この時の搬送は 痛み止めが効いていたために随分マシだった。
大変だったのは嫁さんで ちょうど道路が混雑している時間帯のうえ土地勘も無い場所 しかも旦那さんの容態はすこぶる悪く この時点で良い要素なんてひとつも無い中 娘を連れて運転すると言う荒行をさせてしまった事を本当に申し訳なく思う。

っとここまでは 単なる序章 本当に大変なのこの後。
続きは また調子の良い時にでもアップしますね。

あきさん的九死に一生スペシャル第二弾

2015年09月25日

さて 再度救急車に乗せられた あきさん。
向かった先は 愛知県で唯一ドクターヘリを配備していると言う 県下でも大きな病院である愛知医科大学病院(通称:愛知医大)の救命救急センターだ。

初めて入った救急センターは 先生や看護師さんも多数おり また見た事もない機械と物々しい雰囲気で 自分が思っているよりも 現状は危険な状態なのだと言うのを感じずにはいられなかった。

ここで追々お世話になるY先生より 病状についての説明を受ける。
S状結腸に穴があいており腹膜炎になっており その原因がガンである可能性も否定できず お腹を開いてみないとわからないが 非常に危険な状態であるのは間違いなく また術後は人工肛門になる可能性が非常に高く 嫌かも知れませんがコレも命が助かるためなので 覚悟はしておいてくださいと。 

この説明を聞いて 真っ先に思ったのが『人工肛門は嫌や・・・』です。
腹膜炎と聞いた時から嫌な予感はしてたけどね。

手術前に一度 待機室みたいな所へ通され しばしY先生と談笑。
Y先生いわく『麻酔した次の瞬間には手術終わってますんで 何も苦しい事ないですよ』とのこと。
そして そんなY先生の言葉を信じながら いざ手術室へ!

8月26日 午後8時 S状結腸穿孔&穿孔性腹膜炎の手術を開始。
そして翌日の午前3時半 無事にオペ終了。

当初は3時間程でオペが終わる予定だったらしい。
しかし お腹を開いてみたら思いのほか病状が悪く また手術中にもドンドン感染症が進み さらには穿孔部分から漏れた異物等がゴリゴリに固まっており それらを取り除くのにかなり難航したため 当初の予定を大幅に越える7時間半と言う手術時間になったそうだ。

さらに後々で先生に聞いた話によると お腹を開いた瞬間に膿みが吹き出し その瞬間 血圧や脈拍などが一気に低下 いつ逝ってもおかしくなかったと思うぐらいの危険な状態にまで陥っていたこと また1日でも病院に来るのが遅れていたら 間違いなく死んでいただろうと。

術後は EICUと言う 高度救命救急センターに搬送された人専用で 尚かつ生命の危機的状況に陥り 24時間高度な治療と看護を必要とする患者用の ICUよりもさらにランクが上の集中治療室へと搬送される。
ちなみに EICUのEとは『Emergency』を指しており 親族であっても面会時間は1日3回の決められた時間帯のみで 1回の面会時間が1時間と言う短さ 例え知り合いであっても親族の許可無しでは面会できないと言う非常に管理の厳しい病棟です。

とは言うものの 予断を許さない状況でもあり 手術直後のため顔等はパンパンに浮腫み 腹腔内の過剰な水分や老廃物等を排出するために行った腹膜透析も計3回 肺にも水が溜まり 呼吸を確保するために口には気管挿管 お腹のあちらこちらから出ているチューブ類は4〜5本 もちろんチンチンにも導尿カテーテルが挿入され 両腕と首には点滴や透析用のチューブ類が複数 そして自分から見て右側の下腹部には 人工肛門用のパウチと言う袋が装着され んま〜 いつもの元気なあきさんがどこへやらと言う 見るも無惨な姿だったらしい。

でも とりあえず生命の危機は脱出したとの事で一安心。
EICUから一般病棟 そして退院までのお話は また後日。

あきさん的九死に一生スペシャル第三弾

2015年09月28日

手術後にEICUに入ってからの2〜3日間は 鎮静剤やらで意識朦朧の状態だったので 正直なところ部分的な事しか覚えていませんが 嫁さんがいろいろと記録してくれていたので それを元に当時の事を書いていきたいと思います。

手術当日の昼 鎮静剤が弱まった時間帯だったのか 少し意識があったそうで 面会に来てくれた嫁さんに『大丈夫やで』っと手でGOODのサイン等をしていたが 気管挿管のため話す事はできず また意識もハッキリしてないため筆談もままならない状況。

翌日 思いのほか 術後の経過がスローなため3度目の腹膜透析を開始。
昼の面会時間では だいぶ元気が戻ってきたらしく『走り回りたい』とか『釣りに行きたい』と言う要望を書いたりしていたが その反面やたらと悪い夢(死んでいる夢)などを見ると訴える。

後日 徐々に記憶が落ち着いてきた時に話した事なんですが 自分が寝ているところを上から見下ろしていた事が2回程あり また 大きく重そうな扉の前に人影のようなものが立っている絵を描いたりしました。
この扉で思い当たるのが 亡くなった方が搬送される特別な扉の事 っと言うのも実はオカンは愛知医大で亡くなっており この扉から搬送される所を実際に見ていて 何となく雰囲気が似ていたような感じがしたから。
っとなると 影はオカン?

しかし元気が戻ってきた分 気管挿管の苦しさに耐えられず 息が出来ないから抜けや!と自らの手で引っこ抜こうと大暴れしたようで 次に意識が戻った時には両腕をベッドに縛られていました(笑

ドラマで良くお医者さんが『気管確保!』とか言うてやってる奴ね この挿管って本当に苦しくて苦しくて おまけに緊急手術だったために 術後にどうゆう処置がされるのか全く知らされておらず 現在自分がどうゆう状況下に置かれているの検討付かないため 声が出ない事と息がしにくい事とでパニック状態ですよ しかも痰の吸引とかめっちゃ苦しいからね(笑

先生いわく『5ミリほどの細さのストローで息をしている』ようなものと。
ちなみに 呼吸ができないとか緊急時にはもう1回挿管するかもと言われたので『そんなんされたら そこの窓突き破って飛び降りたるっ!』とか いつもの元気なあきさん全開で悪態を付いていました(笑

手術後3日目になると 3回目の透析もようやく終わり まだ抜けないと思っていた挿管も昼には抜いてもらい 少しだけ声が出せるようになり会話も可能に さらにはお腹に入っていた管も何本かは抜く事ができ 鎮静剤の量が減ったか終わったかで 意識の方もかなりしっかりしてくる。
どのぐらいしっかりしたかと言うと 手術前に『麻酔したら次の瞬間終わってます云々』言うてたY先生が回診で来るなり Y先生を指差し『あっあいつや!なんで嘘付いたんや めっちゃ苦しいやないかっ よくも騙しよったな!』と悪態を付くぐらい(笑

この日の昼の面会時間 手術直前から今朝までの記憶があまりなかったため 嫁さんから今までの経緯や筆談の内容 また本当に危ないところだった事を聞かされ 本当に生きていて良かったと そして心配をかけた事や 献身的に面会に来てくれた事に感謝したのか 嫁さんの手を握りながら泣きました。

ちなみに 若い時に受けた膝の手術の経験か 意識がない時にも関わらず 絶えず足の指等を動かしていたため 術後3日目には立つ事ができ 翌日にはEICUの中を 体中に管をぶらさげながら 上半身はパジャマ下半身はオムツと言う出立ちで闊歩していました(笑
そして術後5日目に一般病棟へと移動 それと同時に鼻に入っていた管や首と左手動脈に入っていた点滴も抜け 数日後には点滴も終わりお腹に入った管を3本だけ残し 病院内を自由に歩き回り 看護師さん達からは『もう病人に見えないね』と言われるぐらい 凄い勢いで回復 あれよあれよと言う間に退院となりました。

病状としては人工肛門は一時的なもので 数ヶ月後には人工肛門閉鎖手術を行い 病気する以前と同じようにトイレで排泄する事が可能となり また度重なる検査の結果 S状結腸摘出のために直腸と大腸を縫合したのですが これも見事に繋がっており さらには普通は膿みが出て入院が長引くと言われた開腹手術部分も 何の問題も無く閉じる事ができ 先生も驚く程順調に回復しているそうです。
もしかしたら 今年中には人工肛門閉鎖手術をできるかも!?

次回でラストです。

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